俺にとって衝撃的だった本

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この本は春期にレポート用に読んだ本だ

何故若者の無差別殺傷の本なんか読もうかと思ったかというと、基礎演のプレゼンで親殺しについて発表してるグループがあり、その内容に感銘を受けたからだ


この本は適当に手に取った本だったが、俺にとっては非常に大切な本になった。ハッと思わされる所が非常に多かった。この本は是非ともAmazonで買って読んでもらいたい。めぞんよりも読んで欲しい本かもしれない。



現代の青少年、若者…そういう立場の人間たちの押し潰されたような悲壮な姿はどこに由来しているのかっていう本だ(まぁ、ここで使われている「現代」ってのは一種のバズワードだと思うが)。


端的に書くと、この本では現代の若者たちのそういった心的状況の原因は①親②教育にあるとしている

①の親についての項をざっくり抜き出すと
「親の過剰な期待になんとか応えようと、子は幻想的に誇大感や万能感を肥大化させてしまうので、現実の姿にぶちあたって壁を乗り越えて自分の等身大の姿を見つめることが出来なくなる。この親の過剰な期待自体が、親自身の幼児的万能感から生じている。今の親たちは子を自らの万能感を満たすアイテムにしてしまっている。『ウチの子がダメなわけがない』『わたしの子が他の子より凄いはず』といった万能感だ。そういった思いが子を圧迫している。親には子供を保護する義務と責任があるが、過剰な保護や期待は子供の自律を妨げる。養育の方向がどこかで狂ってしまったとしか思えない。」

②の教育現場の項をザックリ抜き出すと…いやなんかこの項は複雑だから買って読んでみて
  

この本はタイトル通り無差別殺傷に走るような若者の精神構造を辿るものだから、はっきり言って俺にはよくわからない部分もあったんだけど(例えば、彼らがナイフを持ち歩くのは自らの万能感の最後の砦らしいんだけど、そこが俺には理解不能だ。俺はナイフなんて持ち歩いててもサムいじゃんとしか思えない)、親に関する部分にはハッとした。

俺は親に対して幼い頃から不信感があった。
けど反面、「慣習的に」親に対してあまり酷いことは思ったりしてはいけないという「常識感覚」もあり、その板挟みが俺の歪な自意識を形成している気がする。加えて幼い頃からやってきた剣道という常識を非常に重んじるスポーツを「親主導で」やらされていたというのも俺の歪でままならない思いを生んでいると思う。俺は同じ小学校の子と野球がしたかったのに、他級生にも同じ小学校の子がいないような独りぼっちの道場に通わされていた。剣道ではかなり勝てたから当時はあまり思わなかったことだが、今振り返ると俺は剣道を楽しいと思ってやっていたことは一度も無かった。練習が毎回嫌で仕方がなかった。異常に礼儀礼節に厳しい世界観は、俺にも伝播して人に厳しい人間になってしまったこともあり、それがストレスを多大に感じる原因になっていたとも思う。とにかく時間の無駄でしかなかった気がする。いやむしろマイナス面の方がデカかったのではないか。俺の人生は悉くババを引き当てているように思う。


俺の親は俺に過剰な期待をかけるし、変に頭が良いので俺が期待をかけられることを嫌っていることを分かっている。そのため口では「あんたになんか全然期待してない」「早く家から出てってくれ」「もうこの家には帰ってくるなよ」なんて言うが、俺にはそれが全て裏返しになっているということが分かる。俺の顔色を伺っているのが丸見えだ。そこがとにかく嫌いだ。親という立場を嫌らしく行使されている気がしてならない。はっきり言って俺はそれはとても下卑た行為だと思う。俺は本質的には親が子を束縛して形成することは許されないと思っている。俺ははっきり言ってやったこともあるが、こういう時に歳をとった女というのは非常に厄介で、更年期障害からのヒステリーを起こしたのだ。俺の言葉は通じず、ひたすら激怒と号泣、「私が悪いんでしょ!」の連呼…俺はウンザリして気力が全て削がれたような気がした。物に当たるほどバカでもないので、とにかく目を瞑って怒りを押し殺そうとしたのをよく覚えている。今でも思い出すだけで眠れなくなるほどの怒りを覚える。

さらに厄介なのが姉の存在だ
これは本当に女の嫌な部分を詰め込んだような人間で、はっきり言って人間性は最低だ。しかし仲良くしないと俺は家の中で…

いやこれ以上はやめておこう
本質はそこにはないから

とにかく俺は俺自身の自意識はかなり下卑たものなんだろうなと思っている

別に自分を貶しているわけではない
事実そうなんだろうなということだ

脅迫の隙間て震えている程度に過ぎない


しかし俺がそれから完全に解放される時がある
それが漫画を読んでいる時だ
漫画を読むというのは非常に楽しい
自意識のことなんて一つも頭にはよぎらない
だから漫画はサイコーだ
現実のことなんか忘れられる

現実に幸せが見当たらない俺のような人間だっているのだから、漫画を責めるような世間の風潮は腹立たしい。一体、何故漫画を読みふけていることに目くじらをたてるのだろう。その倫理観というか、規範意識は、一体何に対する義理申し立てなんだろう。まぁいいやこんなの。けどそういうタイプの人間って、例えば地球上で2人きりになったら絶対にそんなことで怒ってこないよな。結局世論を一身に背負ったつもりなだけなんだから。そういうタイプの人間の「意見」ってのはスピーチみたいなもんで、その人間の意見の語尾に「そう思うでしょ皆さん!」と補ってやるとだいたいその人間の精神構造の全てなんて見えてくると思う。まぁそんな雑魚にとやかく言っても無駄なんだけど。


なんか思いつくまま書いたから全然脈略がないけど、俺が今回一番言いたかったのは親と子は綿密にコミュニケーションを取るべきということだ。俺くらいの歳になったらもう修復は難しいかもしれない。けど幼いうちならまだ間に合う。その時注意するべきなのは、親は決して親という特権的な立場になってはいけないということ。というか、親が子離れをしろということだ。そうしないと子は本当の意味で自立を始めることは不可能だ。親は子の意向に沿ってフェードアウトしなければならない。それも子にわからぬようにごく自然にフェードアウトしなければならない。親は子の保護者ではあるが、子を作る立場ではない。子にとって極めてどうでもいい存在になれたら成功だ。俺の親父は俺にとっては存命中は極めてどうでもいいような雰囲気があった。テレビを見て爆笑しながら屁をこいてるだけだった。俺はそこに本当の意味で親というものを感じていた。親父の死は俺にとっては家庭内の最後の拠り所の喪失だった。あとには母親と姉と母親の母親が、「家族というだけで」俺の人生を平気で脅迫してくるだけだ。俺の人生は暗い。



余談だけど
この本を読んだ後、俺はオタクとして堂々と生きて行こうと思えるようになった。
俺は確実に二次元オタクだ。だからオタク的じゃない漫画にははっきり言って嫌悪感を覚える。

だから俺は真にオタクな友達がもっと欲しい
というか友人関係は全てオタクで埋めてしまいたい

中学まではイケてる軍団に中途半端に属していた為に変なプライドがあったのかもしれないけど、俺はオタクとしか分かり合えないし、オタクとのオタク的な会話でしか満足できない。

本当にもう、俺は漫画について話すのが好きだ。もっと言えば好きな漫画のキャラクターについて悶え合うのが堪らなく好きだ。
その次に好きなのは考え事について話すことだけど、これは俺の頭の程度が中の並程度なのであまり上手くいかない。