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うーん…





………



ほんと、うる星やつらめぞん一刻を同時連載してた頃の高橋留美子って何かが取り憑いていたのかなぁ


これほど完成度の高いものって漫画以外でも見たこと無いんだけど…






………絵が凄いよな、まず。



はぁ…………そりゃ平井和正も本一冊書きます

気持ち悪いくらい高橋留美子を持ち上げてるからな、平井和正も俺も。

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何度見てもこの頃の絵は凄い
もちろんこういう一枚絵だけじゃなくて、連載してた漫画の一コマ一コマが絶品だもん。


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そうなんだよ。
めぞん一刻は青春の熱情に溢れてる。


五代くんは自分を見ているような気分にさせる


けどそれだけじゃない




それだけじゃないんだよ………



めぞん一刻は俺には書けない
たとえあの画力があったとしても書けない

平井和正の言うところの高橋留美子の精神世界

人への眼差し………

それが……深いかとかじゃなくて…なんというか…いかに自分がヨゴレなのかを思い知らされるんだよ


あとこれは個人的な部分かもしれないけど
いかに自分っていう男に問題があるかを思い知らされる

俺はわがままが言えない性格だ
もっと正確に言えばわがままの仕方が分からない

それは自己主張が無いってことだ

俺が言ってることなんて正確には俺が言ってることじゃないことくらい俺は分かってる


分かってるから?ってことも分かってる

以下∞ループにより打ち止め



とにかく俺が俺の言葉で言えていると実感を持てる時、俺が自分で選択をした実感出来る時ってのは異常に少ない


断っておくと人に言われたことをぺこぺこするってことじゃない。むしろそこの聞き分けは悪い。


そうじゃなくて、実感がわかない


より流れる方の潮に乗っていくだけの浮遊物みたいな人間だ

おや、なにやら矛盾しているか?


俺はそう思わない
というか俺には矛盾っていう感覚が分からない

分からなくなったが正しいか
もっと正確に言えば分かりにくくなった


矛盾って何だよ。



たぶんそこら辺の感覚が戻ると俺はめぞん一刻を「書ける!」と思えると思う


極めて個人的な部分の話だから理解は求めないしそもそもスルーされてるかもしれない
↑こんな言葉が特に感情の湧くことなく事務的に出てくる辺りが俺の末期的な部分だと思う


俺はこのブログに力を入れて書いたことなんて一度もない。力を入れるってのは感情が働くってことだ。感情がないから文章に拘りもない。

全部事務的だ
頭を使って書いていない気がする。
タッチ画面に触れる指先が事務的に動いているだけのようだ。

1番最初のジャンプについて書いた時は別か。あれだけは時期が全く違うから。



とにかく俺は多少「感傷的」なこともこのブログでは書いてるけど、それは自分の中にそういったものを書くときの照れみたいなものが失われてしまっているのを書きながら見つけたいからもある。つまり感傷的なものを書けば感情が戻るんじゃないかと思っているから書いている。


自分の等身大って奴に見切りがついてしまったのか知らないが、自分語りに全く恥じらいが無くなった。真剣な話を恥じらいもなく出来るアホに成り下がってしまった。


俺はこれは末期的で危機的状況だと「思う」


思うだけで感じない


何故思えるのかというと、それは経験的直感みたいなものだと思う

つまり小さい時から積み上げてきた疑い性の名残みたいなものだ。だからこの文書を書かせているのは今の俺じゃなくて昔の俺だ。「昔の俺ならこの文章を読みながらこんなところに虫酸が走るだろうな」と思いながら書いている。



話があちこちに飛んで分かりにくいとは思うけど、つまり俺は今、自分も他人もどうでもよくなっている。それもかなり末期的な意味で。


自分を誇張する気が無くなってしまったし
他人を見上げることもなくもなっている

それは絶対に良いことじゃない
それは断言できる
自分を繕って天才に憧れていた頃の方が億倍マシだ


なんか生きている実感どころか
生活をしている実感すら無い毎日だ


これでも底を脱したけど、はっきり言って最低の時は自己同一性を見失っていた


頭が考えているのは人と人のことばかり
そこに自分が一切なかった
正確に言えば自分を入り込ませる方法が分からなかった
当然だ。自分を見失っているんだから。
それは詩的な意味ではなくて、本当に自分が分からなくなった。

それがどのくらい酷いかったかというと
自分の出身小学校の名前を思い出すのに30秒以上はゆうにかかったくらいだった


今でも脳のそういった「記憶」「思い出」の部分を思い出すのに使われる部分の働きは鈍くなったままだ


余談だけれど、そんな時でも中国語の授業は普通に理解して回答出来ていたから、いやむしろ以前より素直に頭に入って来たくらいだったから、勉強に必要な脳っていうのは世間一般に「地頭」と呼ばれる部分とは別の場所にあるのが分かる。勉強の出来る人間ってのは勉強をする脳が発達している、ということ。いやもっと正確に言えば勉強する脳をそれ以外の部分が邪魔をしていない。もしくは邪魔するほど発達していない。だから勉強が出来る奴の中にはつまらない奴が多い。勉強が出来るからといって格があるわけでも何でもない。ああなんか少しだけ昔の感情が戻った気がしたけれどまた消えた。


自分が自分を見失ってしまったら、一体誰が自分のことを知っていてくれるのだろうか。

どこに自分は残っているのだろうか



俺は今、確実に単なる「物」に近づいている
考える物だ

だがそんなのは嫌なので俺は人に戻ろうとは思う

しかし、一度「物」になりかけた俺は果たしてどこまで人らしくなれるのか


人「の」人たらしめると言われる部分にどれだけ妄信的に復帰出来るのか


俺は薄っすらと不可能なのではないかと感じている

だとしたら、俺は今回の人生ではうっかりミスをして「人」を楽しめなくなってしまったのかもしれない


それは損だよな
なんで俺はそんなことをしてるんだろうか


俺は「それは矛盾だ!」と妄信的に言えるような、人の人たらしめると言われる部分とでも言うべきような部分が今一番欲しい


その驕りが羨ましい


心の底から怒ってみたい
それが今の夢だ


何かクサいものをみて「薄い」と心の底から感じられるようになりたい



全部かつての自分には万端に揃っていたものだ

今でも全く無くなったわけではないと思う
たまにふと思い出す

その時は本当に脳が晴れやかな気分になる
それがいつまでも続きますように


いつまでも続くといいなぁ


俺は少し文字に馴染みすぎた



あ、今、急にに小学生の頃
「教科書とか勉強の言葉だけでしかモノを言えないような大人にはなりたくないな」と思っていたのを思い出したなぁ。

我ながら素敵で天才的な感性をもっていたと思う
↑これも感情が無くひどく事務的に書いてる


そんな大人に一番近い人間になってしまった

俺は明日からもっと慎重に、真剣に、言葉を選びに選んでブログを書こうと思う

それがたぶん自己同一性の復帰に繋がるから

それはたぶんかつてと全く同じってことではない
むしろ俺は今、違う自分を手に入れられる最大のチャンスに立っているのかもしれない


あ、今少し感情、つまり照れを感じたぜ
何をこんなに長々と書いてるんだろな俺は(笑)


話がめぞん一刻からここまで逸れてしまったけれど、要点としてはめぞん一刻は本当に胸が締め付けられる青春漫画だといこと。めぞん一刻を書けないと感じるのはあらゆるわがままな部分、自己同一性が失われているからということ。そしてその自己同一性のために俺は頑張るということだと思う。


あと最後に
サカナクションアイデンティティって曲があるんだけど、あの中で歌われてるアイデンティティってのはアイデンティティでは無いと俺は自己体験から断言できる。アイデンティティの意味を完全に間違えているアホ丸出しみたいな曲だ。

アイデンティティを失ったことのない人間が書いた歌詞だ

あの歌は結局アイデンティティではなくて、自分は普通ですって悟ったってだけだ。


アイデンティティってのはそうじゃない
言うなれば箍みたいなものだ

普通の自分も、普通じゃない自分も、ちょっと普通の自分も、ちょっと普通じゃない自分、その他無数の自分が人にはいる

その基準を決めているのは自意識だが、まぁそこら辺は今はいい


要するにアイデンティティってのはそれらを束ねている箍だ

この箍が外れると、つまりそれらをうまく纏められなくなると……自分が分からなくなる
本当に分からなくなる
何がどうして自分が自分としての意識を持って存在していたのか分からなくなる

こればかりは体験してみないと分からないかもしれない

だからそういった時には「泣きたい」とか「叫びたい」とかは思うことが出来ないし、そもそも自分が無いので詩的なイメージなんてものは一切湧かない。歌詞に曲をつけるような歌という詩的な創作物を作れている時点でアイデンティティを書けているわけがない。断言できる。あれほど滑稽なものはない。あ、これこそ矛盾だよな!。あれは自意識の周りをうろちょろしたってことを書いているに過ぎない。彼らの言葉で書けば「純粋な自分らしさ」って奴だ。

アイデンティティを「純粋な自分らしさ」と解釈するなんて、誤解も甚だしい。こんなものを聴いて納得するのはアホだ。俺はこの曲は発表当時から直感的に「アホだ」と思っていたし、自己体験を通じてそれは間違ってなかったとわかる。間違った意味でのアイデンティティを流布しているサカナクションの罪は重いし、そもそもサカナクションにそんな誤解をさせたどこかのイデオロギーの罪が重い。イデオロギーは誠に頭が悪い。そこには俺が吐き捨てるほど嫌いな人間達が蠢いている予感がする。まぁだからサカナクションも昔から大嫌いだ。




まだ言えるけど明日は1限から授業だからこれで