子供向け

前回、次は子供向けについて書くなんて書いたけど予告すると途端にやる気が無くなる


サラッとすませる

要するに子供向けを念頭に置いた時の子供という存在なんて本来は無く、念頭に置いたそのイメージと平行してまさに子供向けたる子供は作られる。つまり子供向けに該当するような子供らしさなんてのは大人が子供に押し付けたものに過ぎず、子どもの頭は何も知らないので無自覚に、抜群に子供向け的な子供を演じてしまうっていう話。そんでそれを見て大人が感動する。俺は別にそれを歪だとかは思わない。けどそういった時に排除される、子供向けに乗り切れなかった子供を不幸にしているのはどうなんだろなっていう話をしたかった。不幸にしているってのは、つまり迷わせているってこと。迷うと自閉的になってしまうものだから不幸になる。別に子供時代の話に限らず、こういう無自覚の演技ってのは各年齢別に知ってか知らずか誰でもやってる。それは当たり前。それが文化文明としての合意、イデオロギー全体主義みたいなもんだから。

人並みの青春を送れなかった、とかも全く同じ類の話。青年向けに乗り切れなかった奴が不幸になってるなんて溢れるほどある。


あーめんどくさ
ついに3分以上書くのが辛くなったのでやめる

↑こういった文章が自慢風に聞こえる人がいるらしい。今日2時間しか寝てないわーみたいな。それがまさに感情型の思考ってやつで、前にも書いたけどそういう奴はよその思考も感情でしか受け止められない。俺は別にそれは悪いことではないと思う。ただ気をつけた方がいいと思うのは中途半端になること。感情型の思考、感情型の思考の受け止め方をしているのに、半端に論理に手を出すと、ヒーローものしかかけないようなサル並みの頭に落ちぶれてしまうから。俺は感情型の思考の人は大好きだ。


まぁ感情型の思考をする人がこのブログを読むと気持ち悪くて読めないはず


追記
それと感情型の思考をする人の文章ってのは分かりやすい特徴がある。

句読点の濫発

無意味に句読点を濫発する