ドラマ・そして英雄
最近ドラマ版東京ラブストーリーをまた見てるがやっぱこれはいい作品だ
俺は小学生の頃本当によくドラマを見ていた
ドラマが楽しくてしょうがなかった
11時以降のドラマは録画をして見たし
家に帰ったら「午後のワイド劇場」をチェックしていた
その頃に見たドラマは今でも鮮やかな記憶だ
俺が小学生の頃くらいまでは、年に一本はその年を代表するドラマが出ていた気がする
俺は今だってドラマをチェックしている
明らかにドラマの質が落ちている
その思いが払拭出来ず真剣に見れなかった
俺が生意気な大人になったからそう思うのではなく、それは小学生のある時期からそう思っていた
だからドラマへの熱もいつしか冷めてしまった
映像が陳腐になった
子供心にそう感じさせる何かがあった
構図力の乏しさを感じる
構図による演出の工夫が全く考えられていない
緊迫した場面での構図の引き出しだけは多く、しっとりとした場面や日常的つなぎの場面での構図、演出の引き出しは皆無に等しい
役者の三文芝居はかまわないけど、脚本や演出が三文芝居の雰囲気を出すのは絶対にダメだろう。何故友達のような、スペシャルな関係を築こうとするのか。生理的な気持ち悪さを感じる。
そもそも主人公の性質が随分変わってきてる
今の主人公は一言でいえばキザだ
男も女もキザな主人公を持ってくる
キザな主人公をもってくる奴というのはサル並みに分かりやすい頭をしており
つまりヒーローもの・英雄譚を書きたいのだ
ヒーローとはつまり、主人公がその世界での法であるということ
主人公以外はモブであり
モブは主人公のやることに驚いてればいい
主人公に裏をかかれ、更生されていればいい
なんて単純なドラマツルギー。
話を作る際にヒーローものより簡単なものはなく、俺はヒーローものを書く人間というのは頭も感性も下劣と決めている。
主人公を作るのは作家自身で、自身の法を人様に晒して押し付けることに抵抗や反省が無いなんざ頭を使えないサルに違いないのだから。
未熟なイデオロギーのだだ漏れでしかない。
これは日本のみならず最近のアメリカ製作ドラマも同じだ。
というかアメリカドラマの影響を受けている気もする。露骨に、無消化に。本当に頭がサル並みでしかない。アホでも威張れば文明になるのは仕方のないことだけれど、少しくらい反省のある者がいてもいいだろうに。
今度テキトーなドラマを1つ見てみるといい
主人公にいるのは仲間や友人ではなく色々な意味での相棒
主人公の悩みは個人的な悩みではなくその世界全体のカギとなる悩み
主人公はズバッと何かを解決する一言を言う人
主人公は世界全体を負っている
…書いていてこの幼稚な発想によくもまぁ違和感を感じないなと思う。中学生の学芸会レベル
まぁこういうヒーローものはエヴァぐらいから急激に増えているんだけど、それでもまだちょっと前はちゃんとしたドラマもあった。最近になってちゃんとしたドラマを作れる人が現場から離れていったのかもしれない
それ以下の世代のドラマツルギーの軽薄さは
この国のエンタメを簡単に滅ぼすだろうなと今から容易に想像がつく
ネット文化で「◯◯すぎるwww」なんていう、それこそ自分からこぞってヒーローもののモブのような反応ばかりしてるような奴らがワガママに創作産業に関わっていくのも容易に想像つく
最近、ヒーローものばかりを載せた漫画雑誌が刊行されたが、俺はこれは本当に時代の風がアホになったんだなぁとしみじみした。
東京ラブストーリーをみろ
主人公の悩みは極めて個人的な恋の悩みだ
主人公の仲間は主人公を揉む波のような存在、主人公より大きな存在だ
モブは主人公に負けない魅力を持っている。
主人公に簡単に負けるよう仕組んだピエロで周りを固めるようなことはしていない。
だからこそ主人公を深めていくという
ドラマ作りの最大の見所が抜群に魅力的になる
まぁもうめんどくさいからこの辺でやめるけど
サル並みの頭をどうにかしてからモノを作って欲しいね。テレビは今でも最大のイデオロギーの発信地なんだから。
作家の頭脳はモブに出るよ。
追記
なんかこれ書いてる途中に「ゴールデンボール」思い出したわ。あれは面白かったなぁ。YouTubeに上がってるみたいだなぁ…