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言葉遣い

ブログや、かつてのTwitterなんかで目に見えて言葉遣いが悪くなった俺だが、それには自分の中で確固たる意志が、言うなればこの歳にして自我が確立されたからだ。こういうことを言うと市民サマ、良識派、アホ(全て一括りにしてよい)が「品性」といったところから人間性の問題を指摘を始めたり、親を引き合いに出したりするのが容易に想像がつくが、もうむしろそれは笑えるくらいに可哀想だと思う。本当に心から可笑しくて笑えるし、なんだか本当に気の毒なのだ。

そういう手合いの人間は、いくつになっても自分を生きたことは無いのだろうと確信する。
(実はそういう人間のために、親殺しから始まるお話でも書こうかと思ったことがある。)

バカボンのパパからは「常識を信じるな、自分を信じろ」という意志を感じる。良識派は感じないだろうな(笑)


だいたい言葉遣いなんてものを気にする人間にロクな奴はいないと断言する。もちろん言葉の効果って意味での言葉遣いは別であるが、リスペクトを求める意味の言葉遣いには反吐が出る。

もっと気持ち悪いのが書き手自ら最初からへりくだったような言葉遣いを使う時だ。本当に気持ち悪い。それだけで読む価値なしと判断できるから分かりやすくて良いといえばそうかもしれないが。

書き手と読み手の立ち場ってものを考えたことが無いのだろうか。もしくは読み手とお友達にでもなりたいのだろか。情けない心根だなと軽蔑する。世の中には全く価値のないモノやヒトなんてのはごまんといるが、そういうことを信じられないタイプなんじゃないかと思う。アホなのだろう。付き合う人を選べないタイプだ。結局時間や人生の埋め合わせに半分も知らない他人に付き合い、付き合ってもらっているタイプだ。ははははそういう人間を馬鹿にして眺めるのは本当に面白い。

市民サマ、人権イデオロギスト、良識派、アホの皆様はそろそろ憤死したころだろうか。