久しぶりに

前のブログ読み返したら自分で何書いてるのか意味がわからなかった。あの時は会心の出来って言っていいと思ってたんだけど。その理由は間違いなく、俺がジャンプをまるっきり読まなくなって日がかなり経ったから。久しぶりこの前ジャンプを買ったけど、ジュネレーションギャップ?を感じてしまって理解出来なかった。「これの何が面白いの???」という状態。いや正確には「これは面白いの???面白くないの???」か。子どもの頃、俺の読んでる漫画に全く興味を示さなかった俺の親父みたいになってた(余談だけど、この親父は毎晩枕元ではパソコン開いてダウンタウンの漫才見たり、犬夜叉の単行本を愛読するような、所謂カタブツな親父ってわけではなかった)。そういや親父が死んでもう1年以上経つが、あれはえらい親父だったと最近思う。普通の人だった。まぁそれはいいんだけど。ジャンプって新しいことどんどんやるから、一度離れると全くついていけなくなるんだよな。その点、いつまでも変わらないサンデーは本当に面白い。

最近の俺が読んでいるものって言ったら、高橋留美子筒井康隆池上遼一小池一夫赤塚不二夫梶原一騎大月隆寛大塚英志、etc…音楽でいえばおかげ様ブラザーズMy little lover戸川純小田和正米米CLUB爆風スランプグループ魂山口百恵…あとは劇団☆新感線のDVDとか、ダウンタウンのガキ使やごっつのDVDをみたり…ダウンタウンのトークは最高に面白い、けど日本に与えた影響が良くも悪くも大きすぎるな。そのことはまたいつか。

あとはやっぱ今年はヤクルトの応援にえらい熱が入ってしまって、夏なんかやることないからえらい回数神宮まで応援しに行った。一回だけ1人で行ったのだけど、俺は気にしないのに周りが好奇な視線を寄せてきたのでえらく気分を害された。これはタテの力やなっておもた。この場で恨みが晴れればいいんだけどな。まぁそんなのは日常茶飯事だ。


さて、大学生になったので大学の話をすると大学の授業は非常に揺れ幅がある。面白いものなんて一つもない、けど大切だと思ったのは人権に関わる授業だ。学校がミッション系のリベラルアーツを重んじる校風なので、こういう授業はやたらと多い。ほとんどは小中高と習ってきたものと変わりはしない。それが今さら大切だと思いはじめたのは、間違いなく個人的な変化のためなんだとおもう。

大月隆寛っていう人はしきりに「市民サマがうざったい」ということを言う。呉智英は「人権イデオロギーは悪だ」と言う。本当にその通りに違いないと思う。この国(のことしか知らないからそう書いとく)は人権というものを丸っきり誤解しているとつくづく思う。だから市民サマが生まれ、人権とは似て非なる人権イデオロギーが跋扈する。


中学くらいのころに誰もが習ったと思うけれど全ての人はみな法のもとで平等なのだ。これは言い換えれば、法より上のものはない。つまりこの世のあらゆるものは法のもとに成り立っていることになる。これは素晴らしい考え方であり、紛れも無い事実だ。けど俺は「法」という言葉がやや不適切であったのが世の不幸を招いていると思う。法というと裁判をイメージさせる言葉だ。しかし法を辞書検索にかけると「秩序を与えるもの」というのがある。つまり法こそが文明を作っているものに他ならないのだ。当然だと思う。我々は物質に過ぎず、表象的にはそれが移動をしたりしているだけに過ぎない。けど我々の内面、心には不思議としがらみが多い。これは誠に不思議なことだが、それが法を生み出す場所だ。



あーなんかめんどくさくなったからここまで。
ていうかもうこの話いいや。